2017

「 木のシンギュラリティ#2 」|2017.11.23-12.3|旧平櫛田中邸

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。|我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか|樟|2017| 旧平櫛田中邸

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

2017

「知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。」

「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」

 

似た主題を持つ異なる平面。文字と絵画。その線は深さ、濃淡を持っている。彫るという行為により線は欠落し、浮き上がったかたちと空間は、意味が変容し新たな記号の可能性を隠している。一つのきっかけから少しのことを書くのに長く時間を費やした、分厚いメモ用紙のようなレリーフ。



「 KEAT2019 」|2017.3-常設|栃木県那珂川町小砂

森の陰画

2017

二本の杉の立ち木を残した壁に、太陽が昇り沈むことで木々の影が映し出される。

影を映すことから始まったという絵画や彫刻の起源に思いはせながら、

その輪郭線を追いかけるようにチェーンソーを走らせ、鑿によってかたちを撫でてゆく。

樹の生まれ育った場所や環境を知ること、樹を切るということ、彫るということ。

あらゆるものの原点を見つめ、それによって現れた文様は、私達に何を連想させるだろうか。

削り出された木屑は、土の上に残したままそこにある。

いつしか枯葉と共に、小さな砂となることを願って。


小砂滞在制作40日間のある1日。

 

 

朝、手足の寒さで目が覚める。冬と春の間、暖房のない部屋は冷え切り、白い息が感じられる。テレビも無く電波も繋がりにくい生活必需品のみに囲まれたこの旧保育所の部屋では、早く眠る癖がついていたため同時に目覚めも自ずと訪れるようになっていた。凍るような冷たい水で顔を洗い、村の人が差し入れてくれた食材を調理して、暖めておいたこたつで朝食をとる。作業着に着替えたらラジオ体操をすることが日課になっていた。

 

作業場へ向かうために朝靄の中、自転車を漕いでいる。毎日おはようとあいさつを交わす住民になぜこのように美しい靄がでているのかと聞けば、地面で凍った霜が溶けて蒸気になっているのだと教えてくれた。村の数少ない子どもは自転車で長い急な坂を下って学校へ向かい、そこを私は重たい自転車を押して登って行く。先ほどまであんなにも冷えきっていた体はいつの間にか熱くなっている。

 

作業中、鑿と木槌のはじく音が辺りにこだまして、この音はどこまで届いているのかを想像してみた。ここには都会のような喧騒は一切ない。そのかわりに鳥の声や葉音が聴こえ、自然は常に騒がしいことに気づく。一人だと思っていたけれど、きっと土の下にはたくさんの生き物がいるのだから都会よりも寂しくないものだな、と思う。木漏れ日が当たれば暖かく風が吹けば寒い、そんな当たり前のことに一喜一憂した。雨が降れば休めるのにと少し弱気になり手を休めるが、村の人が15時になればきっと温かい飲み物とお菓子を届けてくれると少し期待し、それまでまだ頑張れると自分自身を励ます。

 

日が傾き始め、気づけば製作中の立ち木のレリーフを夕日がオレンジ色に染めていた。道具をしまって坂を下り、今日も無事作業が終わったことにほっとする。温泉に連れて行ってもらい、夕飯はうちでどうぞとお呼ばれして、お料理お米のおいしさに感動し、小砂の人々の温かさに甘えてしまうことが申し訳なく思う反面、とても安心する。

 

眠る前のひととき、今にも閉じそうな重い瞼を持ち上げて、今日あったこと、出会った人を想い起こしながら紙に記録をしていく。小砂の夜は黒く静かで、蛇口から落ちる水滴の音だけが聴こえる。疲労感と幸福感の中、布団に入った。手の痛みを噛みしめながら、明日も晴れるのだろうかと眠りにつく。